体験談 Sさん

テーマ「地球の健康・心の健康」

Sさんの体験談

 私は高知県出身です。中学校までは真面目な大人しい子だったんですが、高校時代から完全にぐれてしまい、非行少年のやりそうなことは全部やりました。

 高校3年生の時には、バイクを盗んで学校をさぼって“パッパラパッパー”って、北海道まで逃亡して事故を起こし、病院にかつぎ込まれました。目を覚ますと何故か両親がベッドの横に立っていて、
「やっぱり生きちょったねえ、あんたにゃまだやらなあいかん使命があるのよ」
と母親が言いましたが、私には全く理解できませんでした。

 退院して戻ってきた時には“もう学校には来なくて良い”と言うことで、本当は中退のところだったのですが、私の叔父さんが校長先生の親友だったので、何とか頼み込んでくれて、私はなんと3ヶ月ちょっとの停学だけで許してもらい、高校をこっそりと裏口から卒業させていただきました。

 停学明けの翌日にまた夜遊びをしていて補導されるなど、全く懲りない男だったのですが、要領よく大学も2つ合格しました。その一つの大学に、すごく可愛い女の子が受験に来ていました。本当に動機不純だってよく言われるのですが、ただそれだけの理由で、○○大学に入学しました。

 ところが行ってみたら、目を付けていた女の子が落ちてしまっていて、“しまった!”と思いましたが、仕方がないのでキャンパスの中を別の可愛い女の子たちのお尻を追っかけて、3つのサークルに同時に入りました。

 一つが共産党系の民青のサークル、もう一つが反共産党系の新左翼のサークル、もう一つが生長の家学生連盟という右翼のサークル。この3つのサークルに同時に入って、それぞれのデモの最前線で“ワアーッ”とか言って叫んでいたんですが、なぜかみんなから顰蹙(ひんしゅく)を買いまして、「おまえは節操のない奴だ!」とか言われました。「悪いか?」とか言って開き直っていたんですが、半年で大学にいられなくなりました。

 こんないい加減な人間でも受け入れてくれる人はいないかなぁ?と、探していたら、いました。本当に植物のように優しくて、どんな悪い人間でも“良いよ、良いよ”と言って受け入れてくれる人達。世間で“ヒッピー”と呼ばれていた、本当に優しい人達と一緒に、私も全国を流れ歩くようになりました。今の私は「ヒッピーからハッピー」になることが出来た訳です(笑い)。

 その当時の私は、髪を腰まで伸ばして、ブラッシングしたり、髪を洗ったらリンスとかトリートメントとかをしたりして、ホントに長髪ってお手入れが大変ですよネ。「髪は男の命だ!」とか訳のわかんないことを言って、枝毛の手入れなんかをしたり・・・。

 夏は暑いので髪を後ろで束ねて、冬は寒いのでマフラーがわりに首に巻いたりして、そして汚いボロをまとって、落書きだらけのシャツやパンツをはいて、ロングのコートやマントを着て、足が短いのを誤魔化すために13センチのロンドンブーツを履いたり、11センチの高下駄を履いて、カラコロ、カラコロと全国を闊歩しながら、始めは都内で今でもチョコチョコやっている、あの道ばたでのアクセサリー売りをしていました。

 パネルにアクセサリーをぶら下げて、ネームブローチを作ったりするやつのはしりでして、材料はほとんどタダのようなもので、当時はよく売れました。1時間に1万円、1日チョロチョロッと売って3万、5万稼いで、頑張るヤツは1日15万円位稼いで、そのほとんどが純利益。夕方、酒を飲みながら、札束をペッペッペッと数えて......。

 小銭を稼いでも全然幸せじゃなかったです。本当に虚しくて虚しくて、「違う!こんなんじゃない!」と思いながらも、その虚しさを誤魔化すために次々に色々な快楽に手を出していきました。

 どんなことをやったかと言いますと、例えば山奥に朝鮮アサガオという毒草があるんですね。これを煎じて飲むと体がピリピリ痺れて気持ちがいいんです。私は「そんなんじゃ、満足できねぇーよ」とか言って、丼に一杯、その毒のあるアサガオの種みたいなのを喰って、全身の筋肉が完全に麻痺して、ピクッとも動けずに三日間、芋虫のように寝っ転がっていました。
 食事は一切出来ず、唾を飲み込む力さえ出なかったのです。ただひっくり返って寝ているだけの状態でした。しかし不思議なことに唾(つば)だけは出て来るのです。ところが飲み込めないのです。で、唾が喉に詰まって呼吸困難になって、けいれんを起こすんです。“ウエッ、ウエッ、ウエッ、おぉーおぉー快楽じゃー”(爆笑)というような快楽とかを楽しんでいました。

 あるいは、山奥に行くと毒キノコが一杯生えていますが、“ワライタケ”というキノコがあるのです。皆さん方は、あまり食べない方がいいですよ、危ないですから。“ワライタケ”を食べると世界が桃色になって顔が引きつるんですね。その顔が笑ったように見えるので、“ワライタケ”というのですが、食べ過ぎるとウォウォウォウォーッて引きつりながら死んじゃうんで、本当にむごいと思うのですが、毒キノコで“あーッ、快楽じゃー”とか、そんな馬鹿なことばかりやっていました。

 自分の身体をボロボロになるまで傷めつけて、そして得られる一瞬の、本当に気が狂うような快楽。そしてその後は、どん底の無間地獄。ボコッと空いたような、ブラックホールのような虚しさを誤魔化すために、また朝からその毒を自分の身体にぶち込んで、身体をボロボロにして、また僅かな快楽を.....。

 そんな最悪の日々を送っていました。今、振り返ると本当の生きる喜び、生きる意味を求めていたと思うのですが、その当時は、とにかくボロボロで、生きる屍という日々でした。

 そんな中で、ある事件が起きました。実は、や○ざの女に手を出しまして、袋叩きにあいました。何とか生きて逃れて、狂った頭で北海道の原野をフラフラと彷徨いながら、「優しいだけじゃ駄目だ!強くなかったら、愛する人一人さえ守れない。畜生!」と、恥ずかしいほど単純な動機で、腰まであった長い髪をバッサリと切って働き始めました。

 ところがその頃は完全に精神的におかしくなってまして、色んなドジをしでかし、ちょっと逃亡生活のようなことになり、横浜の片隅に流れつきました。お金はその時ポケットに400円しか残っていなかったのですが、それでもやたら鼻っ柱だけは強くて、「よーし、身体鍛えながら働くぞぉー」とか言いながら、住み込みの新聞販売店に飛び込んで働き始めました。その販売店先輩に学会の男子部の方がいて、初めてこの仏法の話を聞きました。

 しかし、その当時の私は無神論者でした。そして、縛られるのは大嫌いです。「人間は限りなく自由に生きるべきだ!」今もそう思っています。そして、すがるのは大嫌いです。「人間は限りなく強く生きるべきだ!」今でもそう思っています。

 創価学会というと何か黒枠で囲っているみたいな暗い感じがして、「ウルセー、とっとと帰れ!」とかボロクソに言って追い帰すんですけど、学会の人というのは、しつこいぐらい(笑い)やさしくて、明るくて、「元気?」とか言ってニコニコしながら来るんです。「また来たか」、と思いながら話してると、「勤行はすごいぞ」とか言うんですね。私は「ふざけんじゃねえ、ただ声だしてるだけじゃねえか。そんなの知ってるわい」と言い返しました。

 実はヒッピーも結構勉強していまして、脳生理学の分野でも確認されている、声を出すと健康に良いということを知っていて、実践してるんです。単調な発声、単調な歌を、ずっと何十回も、1時間、2時間と歌うのです。「なあんだ。そんなん知ってるわい」という事で実験してみました。まさか、出す声には意味があって、また脳の運動領域が異なるために、声の出し方によって効き目に違いがあるとは知らなかったので、その頃色々な毒草のせいで幻覚が見えていたのを押さえ込むために実験しました。

 初めは念仏を唱えてみました。念仏を唱えたら、なんと、かきむしられるようないやーな感じが出てきました。「何だこりゃ、気色悪い」と、すぐにやめました。次に、般若心経を読みました。これをやると、まるで氷の世界に一人ぼっちでヒューッと落ちていくような、ゾーッとするような感覚なんですね、冷静になるのを超えて、冷たくなっちゃうんです。「何だこれは!」と、やめました。

 他にも詩を朗読したり、一番よくやったのは演劇の発声練習の「ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ、ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ」という発声を題目の代わりにして、しばらく実験しました。これで精神が安定する、幻覚が直ると思っていたら、やればやるほど、どんどん幻覚がひどくなりました。

 おかしいなあ、困ったなあ、と悩んでいると、またあのにこやかで、無口な先輩が、ドアをコンコンと叩いて、「元気?」とやって来まして、「ご本尊はすごい」とか言う。「ふざけんじゃねえ、ただの紙切れだろう」と言うと、またあれこれ小理屈をこねるんですね。

 ところで思い当たる節がある方もおられると思うんですが、パチンコや麻雀を一日中やったことがある方おられますか。その方だったら分かると思いますが、一日中やって夜とか朝に寝る時、パチンコ玉や麻雀のパイが頭の中で運動会をするんですね。「分かった。目から情報を焼き付けて、意識に何かの変化を起こして、何かの効果を出してるんだ。よし、じゃあ俺もそのご本尊とやらを作ってやろう!」と、御本尊を自分で書いてみました。紙に、“成長するぞ”とか、自分の好きな言葉を書いて、壁に貼って、それに向かって「ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ、ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ」と唱えたのです。

 要するに、学会の人が最高に良いと言っている事と全く同じ事を、ただし自分流で、絶対これで治ると確信しきって一週間やったんです。

 はっきりと答えが出ました。完全に発狂したんです。恐怖の錯乱が怒濤のように押し寄せてきて、体重は40キロ台にまでやせて、胃潰瘍になって、錯乱を誤魔化すために朝からトリスのキングサイズという安ウイスキーをがばがば飲んで、よけいに悪くなって、どうしようもなくなって、ある夜、ふと考えました。

  私は乞食の人達とも一緒に暮らしていたことがあるんですが、実は乞食の人たちもある時期までは、一生懸命に頑張っていた時代があるんです。ところが、努力と信念だけでは、人生は勝てないんです。頑張っても頑張っても、運が無くて、ある所まで行くとドーンと堕ちて、最後には交通事故で体を痛めて、もういいや、と投げ出した人とか・・・。
あるいは愛する人と別れて、生きる意味を無くした人とか・・・。
人間は生きる意味をなくすと、本当に力が出なくなるんです。「もういいや」って投げ出してどん底に落ちている、そういう人が結構多いんです、乞食の人たちの中には。

 そして私自身も運が無くなっているということに気がついたんです。生きる意味を無くしかかっているということに気がついたんです。右翼もやった、左翼もやった、新左翼もやった、みんな大したことはなかった。迷える子羊ばかりでした。それなら中道を、真ん中のをやってみたってなんて事ないじゃないか。良いところがあれば吸収すればいいんだ。悪いところがあれば、ノー!と言って拒否すればいいんだ。「自分は自由だ!よーし、成長するために良いものを吸収してやろう。百日だけやるぞ!」と決めたその瞬間です。夜十時過ぎでした。また、あのにこやかで無口な先輩がドアをコンコンと叩いて「元気?」とか言ってやって来たのです。思わず「百日だけやるぞ!」と言ったのが、私の人生のすべての転換点となりました。

 後で聞いたのですが、その先輩はこんないい加減な私のことを毎日1時間、2時間とずーっと祈ってくれていたそうです。本当に命の恩人です。おかげで学会に入ることができました。

 そして入会して三日目に、不思議な、ちょっとオカルトっぽい事件が起きたのです。今日は割愛しますが、その奇跡的な事件が起きて、精神の錯乱が7、8割スーッと治まったのです。おかげで題目があげられるようになりました。そして胃潰瘍は2,3週間で治ってしまい、題目を唱えると次々に不思議なことが起きて、さらに私の中に眠っていた良い欲望、勉強したいという欲望がこみ上げてきたのです。「大学に行きたい!どうしよう?通信教育にしようか、どうしようか」と悩んでいたら、ヒッピーを3年やってもう中退になっていたはずのS大学に籍が残っていることが分かって、すでに4年生だったのですが、大学に飛んで返って、1年生と席を並べて勉強を始めましました。

 私は3年間ヒッピー、3年間勉強をして、6年間で大学を卒業したのですが、その3年間で900万遍近い題目をあげて、本当に奇跡的な体験をしました。片っ端から不可能を可能にするという不思議な体験を、本当にたくさん経験することができました。まあ、そうはいっても、初めの半年あまりは、変な毒草をまだ持っていて、売りさばいたら時価何十万円もする毒草ですが、それを時々やっては落ち込んでいたんです。

 ところが半年ぐらい経った時に、「私は自由になりたいんだ!」ということに気がついたんです。そして、今まで私を縛っているものは、例えば親とか、学校の先生とか、職場の上司とか、社会とか、警察とか、あるいは地区部長とか支部長とか、婦人部長とか・・・(笑い)。そういう外にあるものが、自分を縛っているとばかり思っていました。

 しかし、「違う、鎖は自分の中にある!」ということに気が付いたのです。弱気とか、怠けとか、あきらめとか、不信とか、臆病とか、愚痴とか、疑いとか、宿命とか・・・、ありとあらゆる鎖が、心の中に紛らわしい形で自分をがんじがらめに縛っている。「なんだこの鎖は?こんなものに縛られていたら自由になれない。畜生!」と思って、まだいっぱいあった時価何十万円もする毒草を捨てました。一瞬、「もったいないなぁ」と思ったんですが(爆笑)、とにかく自由になりたくて捨てました。そして次々に奇跡を起こすことができるようになりました。

 その中で二つだけ紹介しますと、一つ目は、私は3年ヒッピー、3年勉強、合計6年で大学を卒業したのですが、5年生が終わった時に、先輩に指導を受けたら、先輩は凄い迫力で、「来年、6年で卒業しろ」と言うのです。

 私は「いや、無理です。6年生で必修専門科目という難しい勉強をやって、7年生で卒業論文、絶対7年かかるんです。どう考えても不可能です」と答えたら、その先輩は何を考えたのか、「不可能を可能にするのが、この信心だ!」と、何の論理性もない(爆笑)、無茶苦茶だけど本当に必死の激励をしてくれたんです。

 一瞬、カチンときたんですけど、その当時、先輩に言われていたことは、「先輩の真心からの懸命な激励には、真心で懸命に応えるんだ!その時に、ちっぽけな自分の殻を打ち破って、大きな幸せな人生が開けるんだ」と言われていたので、「そうか、よし、じゃあやってみよう!」ということで、教授に相談してみました。するとその教授は、「わかった!教授会にかけてみる」ということで、教授会にかけられたそうです。

 何年も経ってから聞いたのですが、ほとんどの教授が私の卒業には大反対だったそうです。ほんの2、3人の教授が、「いや、最近 彼も真面目になって頑張っている」とか言って説得してくれて、なんと私は卒業論文も書かずに、大学も裏口から卒業させて戴いたのです(爆笑)。

 更に何年も経って、OB会の時に、仏法対話していた教授(当時助教授)が、「S君、S君、君はまだ学会やってるのか」と言うので、「元気いっぱいやってますよ!」と言うと、「君は本当に悪運が強い奴だなあ。あの卒業論文も書かずに裏口から大学を卒業する制度は大学の歴史で君が最後で、翌年廃止になったよ」と言われたのです。“ゾーッ”としました。鳥肌が立ちました。翌年というのは、私は3月卒業、制度は4月廃止、タッチの差だったんです。

 もしあの時あの先輩の、「不可能を可能にする」とか言う訳の分からない、論理性のない、真心の激励に、もしも応えていなかったら、きっと私は8年間、大学のゼミの先生にいびられて、結局は中退になっていたと思います。実際にそういう人がいるのです。ゼミの教授に嫌われて、いびられて卒業出来ない人たちが・・・。あの時の先輩の真心の激励には、本当に感謝の言葉もありません。

 そしてもう一つ、私が入会して3年間ずーっと祈っていたことは、 “生涯成長できる仕事に就きたい”ということでした。そして大先輩に指導を受けたら、まるで鯨が飛び跳ねるみたいなすごい迫力で、「君は公務員になりなさい!」と言うのです。「えーぇ、ヒッピーやって公務員かよォ?」(笑い)。一瞬、「ガラじゃないよなぁ?」と思ったのですが、「まぁー、真心には真心だ。とにかく受けるだけ受けてみよう!」ということで受けてみました。私が受けたランクは全国で約5千人受験して50人ほどしか採用されなかった約100倍近い倍率のグループだったんです。

 ところが私の脳味噌は、酒と毒草で完全に溶けていますから、ピーマンなんてもんじゃない、最悪の状態です。英単語を一個覚えるのに1時間かかって、次の瞬間、恐怖が頭の中を完全に支配していますから、すぐに忘れてしまうという、本当に最悪の状態でした。この時初めて“不可能”という壁にぶつかって、この無神論者の傲慢な私が“祈り”ということを体験することができました。

 ここには若い方もおられるので、“祈り”の本質について申し上げますと、私たちの人生には必ず何回も何回も大きな壁にぶつかることがあります。そしてみんな一生懸命努力します。努力しない怠け者はダメです。努力しない怠け者は、それだけで人生から淘汰される危険をはらみます。思いつく限りの、出来るだけの努力はしてください。そして百パーセント努力しても、なお越えられない壁というものが、人生には何回もあるのです。

 今の私にとっては、地球と人類の蘇生です。私一人がいくらジタバタと努力したって越えられるはずのない不可能な壁なのです。そしてその越えられない壁にぶつかった時に、多くの人は、「仕方がないよなあ、まあ、これだけ頑張ったんだから・・・」と言い訳しながら、諦めて引き返して行きます。しかし人生には“諦めきれない壁”というのがあるのです。

 例えば、愛する人の死の病、自分自身の死の病、医者がもうダメですとサジを投げても、どうしても諦めきれない、そういう壁にぶつかった時に・・・。客観状況は関係ないです。医者がなんと言おうと関係ないんです。「何が何でも、この命に代えても!」という必死の思いを、究極の法則“南無妙法蓮華経”という言葉に代えて、そして生命の偉大なエネルギーを引き出す御本尊という「鏡」、「大聖人」、「大宇宙」に向けて、自分自身の全生命を思いっきりぶつけるのです。
その時に、私たちの中に眠っている宇宙大のエネルギーが、ピナツボ火山のように突然吹き出てくるのです!無神論者だった私がこういう不可思議な体験をすることが出来たのです。

 午後の専門試験の時です。今だったら1,2割もできる自信がない、無茶苦茶難しい試験が始まった途端に、この死んでいたはずの脳味噌がバシッと音を立てて異様な回転を始めたんです。率直に言うと気持ちが悪かったです。たとえて具体的に言うと、とても回答出来ない難しい質問なんですが、質問を見ると答えがパッと浮かんでくるのです。すぐに解るんです。ゾーッとするような気分でした。あっという間に全部出来まして、結果は父親が国家公務員をやっていて、その父親のところに回って来たそうです。

 私の父親は、私が高校時代にぐれてから、ありとあらゆる努力をした本当に真面目な人でした。私が何かに取り憑かれているのではないかと言って、真言宗の寺に何回も厄払いに行き、お金をたくさん「お払い」したり、三重県の神道の道場に一週間も私を合宿させて、「お父さん、お母さん、ありがとうございます・・・、神様、ムニャムニャ・・・」とか祈らせて、お詫びをさせて心を入れ替えさせようとしたりましたが、そうやって拝むたびにどんどん、どんどん悪くなって、そして最後は、髪を腰まで長くして、ボロをまとって、半狂乱状態になってどこかへ消えてしまったんです。

 もう絶望していたと思います。だから私が「学会に入る」と電話したときに、父親は、「ヒッピーやって、最後は創価学会か!何を考えてるんだ、おまえは!」と、電話の向こうで怒っていました(爆笑)。まぁー、もっともな話なんですが・・。そして3年経って父親のところに回ってきた国家公務員試験の成績表には、全国5千人中で2番に私の名前が出ていたそうです(大拍手)。

 父親は泣きながら、電話をしてきました。万感の思いがこもっていました。「もう、わしの手には負えん。お前のことは学会にお任せする」という思いがこもっていました。「創価学会のご恩を生涯忘れるんじゃないぞ!」と言われて、私は、「はい、わかりました!一生忘れません!」と生まれて初めて、父親に素直に答えることができました。創価学会の先輩・同志の励ましのお陰で、こうして○○省に入ることができたのです。

 そして、○○省に入った最初の日が、朝8時半まで一睡もせずに仕事でした。「なんというところに入ったんだろう」と思いました。私にとっては地獄でした。○○省というのは、俗称“通常残業省”と言いまして、しょっちゅう残業をしているところです。終電どころか、タクシーで朝帰りがざらで、朝から朝まで仕事の日々でした。その後も週に1,2回は泊まったりして、残業漬けの生活はずーっと今も続いています。先週も3回泊まりました。そんな中で特に最初の2年間は地獄でした。「早く仕事が終わらないか」と朝から下を向いて祈る、そんな惨めな毎日でした。

 勤行は、5座3座なんかは関係ないです。私は2年間、トイレの中で方便品・自我偈、屋上で東京タワーに向かって方便品・自我偈の日々でした。そんな生活がずーっと続きました。おかげで今でもトイレに入ると思わず題目が口をついて出ます(笑い)。それでも功徳は厳然と現れます。

 そんな中でいじめも受けました。そのいじめをした上司は、可愛そうに大病に立て続けに2つ罹って消えていきました。その逆に、一生治らないというガンよりも怖い難病、“サルコイドーシス”で5年間も苦しんでいた後輩が、入会して1年で完治させました。彼は今では本当にやりたい放題の人生を送っています。そういう不思議なドラマを起こしながら、2年で地獄の壁を突き破りました。

 地獄の苦しみは人間をダイヤモンドにする。物理学の世界でもそうですが、高温・高圧の地獄のような状態が、炭を、タドンをダイヤモンドに変えてしまうんです。これを実感することができました。今、もしも悩みの中におられる方は喜んで下さい。悩みが深いほど、また耐える時間が長いほど大粒のダイヤモンドになることが出来るのです。大切なのはその地獄の苦しみに負けずに、挑戦の心を沸き立たせることです。

 私も小粒ながら2年間の地獄の壁を打ち破って、ダイヤモンドを合成することが出来、次々に良い仕事をすることが出来るようになりました。そして必死で勉強をしました。そんな中で、地球の未来が危ないということに気が付きました。そして祈りました。皆さんも地球と人類の蘇生を祈ってください。お願いします。

 その時に必ず壁にぶつかると思います。自分一人がいくら頑張ったって、地球はあまりにも大きすぎてどうしようもない、という絶望感に。そこで絶対に諦めないで下さい!そこからが戦いなんです!私たちには不可能を可能にする宇宙大の力が眠っているんです!

私も祈りました。残業から、あるいは活動から帰って、午前2時、3時から祈りました。自分に力がないのが悔しくて、夜が明けるまで、朝まで泣きながら、「地球のために働かせてください!もっと力を下さい!」と何度も何度も祈りました。

そして3ケ月後にいわれたのが、フロンガスの規制という仕事でした。日本のフロンガスの規制というのは、実質的に○○省が仕切っていたのですが、なんと、たった5人でやっていたのです。そしてなんと、この私が実質的な技術の責任者でした。技術担当は私だけだったのです。

ヒッピーの、毒物中毒の、社会のクズに、なんて大変な荷物だと、泣きそうな思いでした。会議室に机とイスと折り畳みベッドを引きずり込んで、必死で勉強して、いろんな技術開発のレールを引きました。はっきり自負しています、素晴らしい仲間たちと一緒に頑張って、日本の技術の流れを変えました。今、いろんな技術開発の実りが出ているのは、多くがあの時に引いたレールなのですが、3年半頑張った中で、2年で壁にぶつかりました。

技術だけでは手遅れになる。一つの技術を開発して対策を実施しても、完璧な技術は存在しないんです。10年か20年か経つと、すぐにもっと大変で本質的な問題が追っかけてくる。「イタチごっこだ!モグラ叩きだ!じゃあどうすれば良いんだ?」悩む中で、人間自身の変革しかないんだということに気がつきました。

そして探しました。人類の中で、地球環境問題の解決のために人間自身の変革を明確に位置付けたグループを。私自身が探した世界のありとあらゆるグループの中で、たった2つしかありませんでした。

その1つがローマクラブです。私の尊敬する偉大なローマクラブは、初代会長アウレリオ・ペッチェイ氏が「人類の使命」という本を書いています。その第七章に「人間革命」という章があります。この本の概要は、人類はあと100年も経たないうちに大変な破局に直面するであろう。これを克服するには全人類の根本的な人間革命が必要である。この事業は大変困難なものであるが、人間革命が必要だと全人類が自覚するだけで、道は半分進んだに等しい、というものです。しかし、学べば学ぶほど、ローマクラブには人間変革の具体的な論理も実践論もありませんでした。本当に悔しかったです。

そして人類の中でたった一つだけ、地球と人類の蘇生のために人間変革を明確に位置づけて、その人間変革の具体的な論理と日常的な実践論を併せ持って、しかも事実として全地球に爆発的に、地球という生命体にとっての自然治癒力の細胞、人間革命の偉大な細胞を拡げているグループがあった。それが私自身も所属していたSGI・創価学会インターナショナルだということに、仕事を通じて数年前に気が付いて本当に感動しました。

この偉大な蘇生の集いである創価学会を、この日本の国の愚かなリーダーたちやマスコミは、ここ数十年来、ずっと無いこと無いこと、誹謗・中傷を続けてきました。またこれからもあるでしょう。

しかし、私は仕事を通じても、個人的にも、政治家も知っています、マスコミのジャーナリストも知っています。更にいえば、坊主も知っています。そしてはっきりと断言できます。彼らには地球の未来、人類の未来を護ろうという心はこれっぽっちもありません。彼らはエゴイストばっかりです。あんなエゴイストに地球の未来を任せたら、地球という生命はアッという間に自己中心主義のエゴイストというガン細胞に食い破られてしまう。絶対にあんなエゴイストたちに任せるわけにはいかない。これが私たちSGIメンバーの確信です!

 そういう意味で、私たちは心ある人々との真心と真心の、友情と友情の絆を全地球に拡げながら、地球の、人類の未来のために、一人一人が地球の自然治癒力の細胞となって、人類の偉大なリーダーたちが認める偉大なリーダー“池田SGI会長”と共に、そして素晴らしい絆で結ばれた皆様と共に、究極の法則である、“妙法”を唱えに唱え抜きながら、私たち自身の努力で21世紀を、「地球と人類が見事に蘇生した!」という勝利の世紀とするために、そして最高の地球文明を開くために、今日よりは、また堂々と“歓喜の歌”、“勝利の歌”を歌いながら、怒濤の前進を開始しようではありませんか!
(以上です)