迫害の本質について


【迫害の本質について】1/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)13時12分30秒

  日蓮大聖人の生涯を研鑽して強く感じることは、

民衆救済を目的としながらも、その人生は迫害につぐ迫害の連続闘争でした。


しかし、それでも大聖人は迫害に合うたびに、

大きく飛躍できる糸口を懸命に見つけ、広宣流布の活路を開いていきました。


そして、一切衆生を救済するために悪の思想と戦い続け、その尊い生涯を全人類のために捧げたのです。


人生に悩み、壁にぶつかりながらも、

それを乗り越えようと懸命に生きる、生身の人間にとっては、


大聖人の説いた教説もさることながら、大聖人の振る舞いの奥にある、

心の琴線に触れることのほうが感動が遥かに大きいと思います。


その意味で、大聖人は自身に競い起こる迫害を通して、

どう振る舞い、弟子たちに何を教えていったのかを見ていきたいと思います。


生涯のなかで人生最大の難ともいえる「竜口の法難」を乗り越えた大聖人は、

さらに、それに続く次なる試練が待ち構えていました。


竜口で処刑に失敗した幕府は、大聖人に対する処罰を決めかねていました。

そして、ついに佐渡への配流を決定したのです。


佐渡は、律令時代からの配所で、

「近流・中流・遠流」とある流刑のなかで、最も重い流罪の地でした。


大聖人にとっても、弟子門下にとっても「佐渡流罪」は、

生涯最大の苦難の時であり、日蓮教団の存亡にかかわる法難でもあったのです。


この時期、大聖人の「心」と弟子たちの「心」にはどういう相違があったのでしょうか。


というのは、ところどころに大聖人と弟子とのすれ違いが語られているからです。


もしも大聖人が逆境にある時、その打開のために精力的に動き、

事態を好転させようと努力して鎌倉への帰還を勝ち取っていたとしたら、

その生き方は、ずいぶん色あせたものとなっていたかもしれません。


日蓮仏法が現代にも通じているのは、

そんな世俗的、時代限定的な行動に走るような生き方をとらなかったからだと思います。


つまり、佐渡での大聖人は、この法難をそんな方法論で解決しようとは思っていなかったのです。



【迫害の本質について】2/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)13時13分9秒

  大聖人は文永九年五月に、門下であった富木常忍にこんな手紙を送っています。


「日蓮が御免を蒙らんと欲するの事を色に出す弟子は不孝の者なり」(一三九頁)――と。


色に出すとは「行動に起こす」つまり、赦免運動をするということです。


大聖人が「不孝の弟子」と言って厳しく戒めたのは、

師に一日も早く戻ってきてほしい、という弟子の思いを非難したのではなく、

幕府に向かって行動を起こすような政治的な解決方法に対してでした。


つまり、弟子による赦免運動は、師の心に反する行為だったのです。


それに大聖人は、佐渡流罪に対して「無念だ」とも「不本意だ」とも

一切、幕府に対して恨みがましい思いは持っていませんでした。


だから大聖人自身が、赦免に向けて行動を起こすことなどまったく考えていなかったのです。


師が望まないことをやろうとする弟子は「不孝の弟子」といわれても仕方がありません。


もし大聖人が「逆境」の原因を鎌倉幕府のせいだと捉えていたら、

門下の一部にあった赦免運動を指揮して裁判のやり直しに奔走していたでしょう。


大聖人は佐渡流罪を仏法の眼からとらえ続けました。それは佐渡期の文書に一貫して流れています。


そして、この逆境の原因を幕府の理不尽な処断という外側に求めず、内に求めたのです。

それは「内省(自分の考えや行動などを深く かえりみること)」への深い思索の始まりでした。


その内省は「宿業論」と「不軽菩薩」への着目だったのです。

大聖人は逆境の原因を「宿業」にあると捉えたのです。


宿業は当時の人々の間では常識的な思想でした。

武士やその妻たちが余生を仏門に身を投じ、入道したり尼になるのは、

過去世から現世に積んできた罪業を消し、来世を期するためでもあったからです。


大聖人が「業」について自身の身に引き当てて説いたのは、

同じ法難の嵐に動揺する門下が、信仰の次元で乗り越える大切さを知ってほしいからでもあったと思うのです。


開目抄には

「疑つて云わく、いかにとして汝が流罪・死罪を過去の宿習としらむ」(二三二頁)


という問いを設定していることからも逆境を信心の問題と捉えていることがわかります。



【迫害の本質について】3/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)13時13分51秒

  大聖人は、設定した問いに答えて「般泥洹経」に説かれる

過去の宿業による八つの報いを記す一節を引用しています。


「『善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業を作るに是の諸の罪報は

或は軽易せられ・或は形状醜陋・依服足らず・飲食麁疎・財を求むるに利あらず・

貧賤の家邪見の家に生まれ・或は王難に遇い・及び種種の人間の苦報あらん。

現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり』云々、此の経文・日蓮が身に宛も符契のごとし」(同頁)――と。



大聖人みずからが言うように、佐渡の流人としての境遇にぴったりと符合します。


しかし、「現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る」とあるように、

法華経を護持してきた功徳の力によって、現世の業報を軽く受けることができ、命をつないでいるというのです。


つまり、佐渡の流人生活は功徳の結果だということです。


仏法の次元からいえば、

むしろ逆境は自分が成長するチャンスだという大聖人の人生観がよく現れている一節だと思います。


この「宿命転換の原理」と密接な関係にあるのが不軽菩薩です。


大聖人は開目抄のなかで

「不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪・身に有るゆへに瓦石をかほるとみえたり」(二三一頁)

と、自身を不軽菩薩に重ね合わせています。


「不軽菩薩は今の教主釈尊なり」(一二一五頁)――。


つまり、釈迦仏は過去世において法華経誹謗の罪を犯した不軽菩薩であり、

その宿業を滅して今は教主釈尊となっている、という図式は、


大聖人自身が過去世において法華経誹謗の罪を犯し、その宿業を竜口の法難・佐渡流罪によって、

すべて滅しようとしている、という仏の次元での同列化を示しているといってもいいでしょう。



【迫害の本質について】4/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)13時14分29秒

  不軽の菩薩としての振る舞いは、

一人一人の内にある仏性を最高にほめたたえ、これに向かって礼拝するものでした。


「我汝等を敬う」から始まる二十四文字の法華経を説いて、衆生教化の道をひたすら進んだのです。


その道程に法難の嵐が巻き起こります。

しかし、その法難が契機となって宿業を転換していったのです。


これを「其罪畢巳 (其の罪畢え巳って)」といいます。


大聖人は、逆境を契機に宿業論を引用しながら、不軽菩薩を範として、

内を見る、内を鍛える、内なる仏性を顕現する徹底した内省の考え方を表明したのです。


逆境は人を育てるように、

大聖人の仏法は佐渡流罪によって、一層、研ぎ澄まされ、深みと広がりを備えるに至りました。


竜口の法難を乗り越えた大聖人には、自ら体験した法華経身読によって、

南無妙法蓮華経の偉大な力用の証明を果たしたという自覚と確信がありました。


また、大聖人はその難によって「仏眼」を体得していたと思います。

仏眼とは、仏法の眼(視点)から、すべての事柄の本質を見極めようとする眼です。


大聖人は、この佐渡流罪という出来事以降、

弟子たちに「師弟不二の道」を継承させようと、激励につぐ激励を展開していきました。


しかしそれは同時に、弟子もまた、迫害の嵐に遭遇することを意味していたのです。


その弟子の一人に四条金吾がいますが、今度はその四条金吾が受けた迫害を通して、

大聖人は何を四条金吾に教えようとしたのか――それを見ていきたいと思います。


一度整理します。


雨乞いの対決に敗北した仏敵・良観は、幕府権力者に無数の讒言を加え、

大聖人を亡き者にしようと、あらゆる策謀を練って仕掛けていきます。


その最大の頂点が竜口の法難であり佐渡流罪です。


しかし、それでも大聖人を倒せなかった良観は、今度は師匠と弟子の離間工作に動きます。

つまり、弟子に弾圧を加え、純真な信徒を苦しませようとしたのです。



【迫害の本質について】5/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)13時15分14秒

  文永十一年、大聖人が佐渡から帰還し、身延へ入られると、

良観は露骨に、各地にいる大聖人の弟子に対して社会的な圧力を加えてきました。


実際、文永の終わりから建治年間を中心として、弘安に入るまで、

池上、鎌倉、富士、甲斐など、あらゆる所に陰険なかたちで表れています。


それは鎌倉にあって、信者の中心的存在であった四条金吾にも襲いかかってきました。


金吾は、社会的な立場でも、主君からは信頼され、武芸、医術にもすぐれていただけに、

その動きは、他の門下にも大きな影響力があったことは当然でしょう。


仏敵・良観は、金吾を迫害し、師匠や正法から遠ざけることによって、

鎌倉の日蓮教団の勢力を破壊できると考えていたようです。


事実、四条金吾の主君・江間氏も熱心な良観の信者でした。

そこで良観らの策謀は、普段から金吾を妬ましく思っている同僚の家臣たちに向けられていきます。


当時の武士階級は、なんらかの宗教に帰依している者が多く、

ある者は念仏者であり、禅宗、真言を持つ熱心な信者がほとんどでした。


彼らの目に映る法華宗の四条金吾は、いってみれば阿弥陀仏の敵であり、禅、真言の法敵です。


武士としての対抗意識とともに、法敵という意識まで良観たちに強くうえつけられた同僚の武士たちによって、

数年以上も金吾に対する迫害が続いたのです。


同僚の家臣たちによる迫害の特徴は、主君への讒言です。


主君もはじめは、金吾の忠誠に深く信頼をよせていましたが、度重なる讒言と、

桑ケ谷問答(三位房とともに鎌倉桑ケ谷にて竜象房と法論に同席)に連座したことに対して、

同僚が主君に仰々しく(ウソの)報告をしたために、金吾は誤解され、所領問題へと発展し、


ついに主君から法華を捨てる「起請文」を書くよう迫られたのです。


この時、金吾はこの事態を身延にいる大聖人に報告し、

あわせて法華経は絶対に捨てないという「誓状」を記し、大聖人に提出しています。


苦境に立たされた四条金吾に対して、大聖人は、

仏法と王法の違いと、必ず仏法が勝つことを、歴史的事実を通して指導激励をしていきました。


それが「四条金吾殿御返事 (世雄御書) 一一六五頁」です。


そこには

「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。

故に、仏をば世雄と号し、王をば自在となづけたり」(一一六五頁)とあります。


今度はこの御文を考えていきたいと思います。



【迫害の本質について】6/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)13時15分54秒

  大聖人は、仏の別名を「世雄」といい、王の別名を「自在」と述べています。


法華経・化城喩品には

「世雄両足尊、唯・願わくは法を演説し、大慈悲の力をもって、苦悩の衆生を度したまえ」

(妙法蓮華経二八六頁)とあります。


「世」とは現実社会のことをいい、「雄」とは力であり、リードしていく人のことだと思います。


世雄とは、現実社会で苦悩に沈む衆生を大慈悲の力をもって

救っていく人――大聖人は、これを実践している人が「仏」だと説いています。


次に、王は「自在」ということですが、王とは権力者の異名であることは疑う余地はないと思います。


雑阿含経には「自在、王者の力なり」(大正二巻一八八頁)と説かれています。


束縛や障りがなく、自分の思うがままに人々を動かし行動できる――これが「王をば自在となづけたり」だと思います。


ちなみに、これは余談ですが、


生命の十界のカテゴリーの中で「第六天の魔王」のいる場所は天界です。


第六天の魔王は、欲望の世界に生きる魔王なのですが、

天界には「六欲天」という六つの段階があり、その最上位が「第六天」です。


欲望渦巻く社会の中で、他の人間を自分の意のままに支配する命は、

権力欲の頂点に立つ第六天の生命であり、第六天の別名が「化他自在天」とも「天魔波旬(波旬=魔王)」とも言います。


仏本行集経巻二十六には

「此の欲界の内は、是れ彼の魔王波旬、主と為り、自在に統領す」(大正三巻七七四頁)とあります。


善の心を持つ権力者が世に立てば、聖人・賢人を守り、民衆を慈しむ世の中になりますが、

第六天の心に支配された権力者が世に立てば、聖人・賢人の道理は通らず、自分に従わない善人は迫害される世の中になります。


この悪王が出現し悪僧と結託して、正法を破ろうとした時に、

師子王の心を持って抵抗したのが日蓮大聖人であり、創価三代の師匠です。



・・・・つづく。



【迫害の本質について】7/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)16時04分14秒

  話を戻します。


では、「仏法は勝負を《さき》とし」、「王法は賞罰を《本》とする」とは、どういうことなのでしょうか。


仏法でいう「勝負」とは、権威によらず、法自体や法を持った人自身の力によって、

どちらが優れた思想で、どちらが劣った思想なのか、


また、どちらが多くの人を幸せにするために尽くしたのか、そうでないのか、を決めることだと思います。


そう考えると「仏法は勝負」ということは、一面から言えば、

自分自身が人間の本源的な生命力(仏界)をどれだけ強めていけるか――それがまず「さき」にあるということではないのか。

そして、どちらがより多くの人を激励し、幸福の軌道に導いたのか、という結果ではないでしょうか。


「仏法は勝負を《さき》とする」とは、勝負にこだわり策を弄して、

何よりも優先することではなく、結果として「勝負として必ず表れる」ということだと思います。


この《さき》とは「仏法は勝負を《前提》として」とも読めます。


短気な性格の金吾を心配された大聖人は、


「だから、短気をおこさず、誠意の戦いが、長い目でみたときに必ず勝利し、

それが結果として証明される」と言いたかったのではないでしょうか。


事実、短気な金吾が迫害にあいながらも、大事をおこさず、長期間にわたって耐え抜いたのは、


大聖人の弟子を思う大慈悲の指導があり、大聖人を生涯の師匠として信じ、

その指導を受けて立った信心が、四条金吾にあったからだと思います。


このように推察していくと、佐渡流罪を悠然と乗り越え

「流人なれども喜悦はかりなし」(一三六〇頁)と叫んだ大聖人の、大境涯が浮かび上がってきます。


この大境涯に立てば、目先の「八風(利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽)一一五一頁」などは風の前の塵のようなものです。


何が起ころうが、この強い生命力(絶対的幸福境涯)が、あなたにもあるのですよ、

その生命力を涌現することが信心の目的なのですよ、と教えているのが「世雄(仏)=師匠」なのです。



【迫害の本質について】8/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)16時04分51秒

  それに対して「王法は賞罰を《本》とする」とは、どういうことなのか。


そもそも「王法(権力者が決めた法)」とは、社会的権威と、

その権威に服従する人々の忠誠心によって支えられた社会的な力の反映とも捉えられます。


王法は、その主体が王や独裁者という個人にせよ、内閣府という集団にせよ、

いずれも個の人間ではなく、集団的な力です。


つまり、王法の賞罰と対比して、仏法の原理を勝負として示されたなかに、

仏法が人間に焦点をあて、人間の力を中心にすえていくのが、仏法の基本精神だと考えます。


王法が賞罰を《本(根本)》とすることは、功ある人が賞せられ、罪ある人が罰せられることによって、

それが秩序の維持となり、人々の行動を律する規範となっていきます。


つまり賞罰とは、手本であって、全ての人々の行動に対する結果ではありません。


王法という権力が、いかに緻密に人々の上に君臨していようとも、

全ての人の行動とそれに伴う賞罰を網羅することは不可能です。


賞せられなかった人のなかにも、賞せられた人より、はるかに功ある人はいます。


反対に、罰せられた人より、はるかに大きな罪を犯しながら、罰を免れた人も存在します。


こういう現実から、

賞罰を根本(手本)として全体を総括していこうとする王法には、おのずと限界が生じてくると思うのです。


ここに「仏法と王法」の根本的な違いがあるのです。



【迫害の本質について】9/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)16時05分32秒

  大聖人は手紙のなかで、中国と日本の仏教伝来の時における争いの歴史を通して、

仏法に敵対した人たちが必ず身を滅ぼしゆくことを四条金吾に教えました。


仏法は生命自体の法則を教えているがゆえに、

時とともに移り変わる社会体制の法にすぎない「王法」よりも

はるかに力があり、誰人も生命自体の法からは免れることはできない事を金吾に訴えました。


そして、大聖人は

「されば釈迦仏は賞罰ただしき仏なり」(一一六八頁)と述べています。


これは結論からいうと、仏法における賞罰がもっとも正しい、という意味です。


この御文は一見、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」

と矛盾する言い方に見えますが、


仏は精神の世界、思想界の「王者(指導者)」としての立場から

賞罰という概念を釈尊に引き当てて言われたものだと思います。


つまり、仏(人と法)のいう賞罰が正しいということは、賞を受けるにふさわしい人が賞せられ、

罰をこうむるにふさわしい人が罰せられるということです。


それは王法における手本とか、見せしめなどという賞罰ではなく、

個々人がその精神と行動の結果として、ひとつももらさずに受けていくものなのです。


歴史的事実を通して、仏法が必ず王法に勝つことを教えた大聖人は、さらに今、

四条金吾が直面している問題に、どのような態度で臨んでいくべきかを金吾の性格も踏まえたうえで指導していきます。



【迫害の本質について】10/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)16時06分17秒

  大聖人は


「充分に用心して、当分の間は、たとえ他の事であっても『起請文(法華経を捨てる誓約書)』を書いてはいけない。


火の勢いは、ものすごいようであっても、しばらくすれば消える。

水はのろいようであっても、その流れは簡単にはなくならない。


金吾は短気だから、火の燃えるようなところがある。

必ず人に足をすくわれるであろう。


また、主君がゆるやかに、言葉をやわらかくして、いいくるめようとしてくるようならば、

火に水をかけたように、主君に説き伏せられてしまうだろう(通解)」(一一六八頁~)


と述べられ、


情に厚く、思ったことをすぐにやってしまう性格の金吾が、その性格ゆえに人に足をすくわれ、

「主のうらうら」とあるように、情にもろく、やわらかく出られると簡単に同情してしまうところを

大聖人はもっとも心配していたようです。


苦境にあって、必死に戦っている同志に対しては、仏法の原理のうえから、

ただ一方的に指導していく大聖人ではありませんでした。


相手の心の隅まで知り尽くし、相手の身になって共に考え、

共に進んでいこうとする大聖人の姿勢が、この文面からにじみ出ているような気がします。


また


「鍛えていない鉄は、燃えさかる火の中に入れれば、すぐに溶けてしまう。

氷を湯のなかに入れるようなものである。


剣などは大火に入れても、しばらくは溶けない。

これは鍛えられているからです。金吾に事前にこう言うのは、あなたを鍛えるためです(通解)」(一一六九頁)


と、金吾に自立の精神に立つように厳しく教えられました。


本当に鍛えられた人は、いざ苦難にあった時にその強さが発揮されるものです。


ここでいう「鍛える」とは、精神の鍛えだと思う。


なぜかというと、四条金吾もそうであったように、

信仰を貫くか否かの試練に立たされた時、頼りとするのは自分以外にはありません。


他の同志ができるのは「励まし」だけです。


社会にあってもそれは同じことで、どんな荒波にもまれようとも、

それに負けない強い自己の精神を作り、自立させ、


それらの諸問題を乗り越えていく――これが人生の試練という「鍛え」だと思います。


他人に頼る心を捨て、自身の主体性と責任において、

いかなる苦難も乗り越える強い意志と信念を、この信仰によって自身の胸中にうち立てていくしかないのです。


大聖人が、金吾の弱さや特質をよく知り、起こり得る事態をあらかじめ知り、

その時になってどうすべきかを、心の中に準備していくことも勝利のためには必要だと思ったからこそ、


金吾の性格を指摘し、対処の仕方を指摘され、金吾を鍛えようとされたのだと思います。



【迫害の本質について】11/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)16時07分2秒

  そして最後に大聖人の大確信が述べられます。


それが「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり」(同頁)です。


一般的な言い方でいえば、道理とは「スジ論」です。

人間としての道理(スジ)、人間の正しい生き方のスジを通す――。


仏法を突き詰めて考えていけば、結局は、人間としての道理を教え、

その道理を裏付ける生命の法則を究め尽くしたものだと思います。


だから、人間としての道理をはずれた考え方は、仏法の哲理にもかなっていないと考えます。


歴史を紐解けば、宗教が堕落した根本原因は、法の高低浅深の問題よりも先に、

宗教の権威をカサに着た指導者の、道理を無視した横暴にあるといっても過言ではありません。


宗教的権威を持つことによって、自分は特別な存在だと錯覚し、

自分の欲望や妄想さえも押し通すことが許されると思い込んで、

他人を抑圧し、信者の真心を踏みにじり、


同志を犠牲にして恥じない人権感覚――この生命尊厳に対する人権蹂躙は、非道の典型です。


宗教は本来、「人間宗」ともいうべきあらゆる人間の人権を守り、

道理を重んじ、非道を排除する戦いが、宗教の使命だったはずです。


「主」とは、端的にいえば、人間を支配し、人間を手段化する権力者としての性質です。


その権力がいかに強大であろうとも、人間の道理を無視した場合には、

絶対に仏法の道理に勝つことはできない、というのが大聖人の大確信です。


「いかに愛おしい妻と離れたくないと思っても、死んでしまえば離れざるをえない。

いかに所領を惜しいと思っても、死ねば他人のものとなってしまう。

あなたは所領をいただき、すでに栄えて年久しい。少しも領地など惜しむ心があってはならない(通解)」(同頁)――と。


妻に対する愛着も、財産に対する執着も、

これらはいずれも今世かぎりのものであり、死後には何の役にも立たない。


死に直面したときは己一人です。


そのときになって、支えになるものは、自身の内に秘めた信念と勇気と力だけかもしれません。


しかし、信心を貫くかどうかという瀬戸際に立ったならば、

猛然と執着を捨てて乗り越えていきなさい、という厳しい指導です。


この厳愛の指導を、四条金吾は全身全霊で受け止め、貫き通していきました。


【迫害の本質について】12/12  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年10月22日(木)16時07分49秒

  そしてその後、大聖人の言われた通り、仏法の賞罰は厳然として表れます。


崇峻天皇御書を読めば、この年の九月、鎌倉に疫病が流行し、竜象房は倒れ、

四条金吾を讒言した者も病に倒れていきました。


そして、

「主君の江間氏は、金吾を敵とは思ってはいないが、

一度讒言を取り上げてしまったために、病気となって、そのように長引くのだろう」


との大聖人の厳しい指摘が記されています。


しかし、師匠の指導通り、金吾は主君に誠意を尽くして

治療を続けた結果、主君の病を快方に向かわせました。


そして、金吾の主君を思う一念が通じ、再び、主君から信頼を勝ち取って、


ついに

「主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心ねもよかりけり」(一一七三頁)

との指導を、四条金吾は身で読みきったのです。


この四条金吾の迫害の史実は、まさに、大聖人が迫害に合うたびに

大きく飛躍できる糸口を見つけ、広宣流布の活路を開いてきた様相とびったり符合します。


「師弟の道」はやさしく、「師弟不二の道」は、

厳しくも、厳粛で、かくも荘厳なドラマなのかと胸が熱くなる思いです。


冒頭にも述べましたが、日蓮大聖人の佐渡流罪は、二年数ヶ月に及びます。


罪人という扱いを受け、島流しにあった佐渡の地にあっても、勇敢に広宣流布の戦いを実践し、

鎌倉で大聖人とともに戦う弟子たちに、次々と重要な御書を著し、指導・激励・育成をしていました。


いかにこの佐渡期において、大聖人が未来を志向して

数々の指針や法門を、弟子たちに教え激励していたのかがわかります。


それは身延に移ってからも、その実践は貫かれ

「師弟不二の信心」の何たるかを、弟子たちに伝え残そうとしました。


弟子もまた、自らの戦いで「三障四魔」を呼び起こし、本気になって師匠を求め、

師匠と同じく「法華経の行者」としての実践を貫き通していったのです。


最後に「人間革命の歌」の一節を記して終ります。


君も立て 我も立つ

広布の天地に 一人立て

正義と勇気の 旗高く 旗高く

創価桜の 道ひらけ



― 完 ―


宿坊の掲示板より