提婆達多と阿闍世王の末裔

【提婆達多と阿闍世王の末裔】1/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月14日(木)21時59分39秒   通報

  社会の中で懸命に働く企業の社長やそのブレーンにいる人、

また何らかの道でトップに立つ人の話を見聞きしているとある共通点に気付きます。

 

それはトップに立つ人というのは比較的、歴史好きな人が多いように思うのです。

 

彼らは歴史上に名を残す戦国武将や偉人たちを通して、

指導者としてのあり方や考え方、また自身への戒めなどを学び、

そこから何かの答えを導き出して、現実社会に活かそうとしているのかも知れません。

 

池田先生も青年部に対して、常に

「古今の歴史を紐解き、歴史から学べ(趣意)」と指導します。

 

そして先生自らが先頭に立って、古今東西の偉人や歴史を通して、

物事の因果やその本質をどう見ていくかという視点で論及し、

 

青年たちに学ぶことの必要性を教えると共に、革命児たることを促しています。

 

考えてみれば、森羅万象がことごとく南無妙法蓮華経の当体であるならば、

善いことも悪いことも、そこには一つの法則性が存在し、それに則って歴史が作られているといえるでしょう。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】2/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月14日(木)22時00分33秒   通報 編集済

  開目抄には

「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。

未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」(御書二三一頁)とあります。

 

現在、世界中で悲惨な事件や凶悪な犯罪が多発しています。

 

たとえば、親が子を殺し、子が親を殺し、無差別に他人を殺害するテロや、通り魔殺人など、

まるで悪因悪果から抜け出せない様相が世界を覆っているように見えます。

 

その背景には、こうした悪い行為はやがては自分自身に苦しみの結果を招くという

〝因果倶時の哲学〟の欠如がその要因になっていると思います。

 

仏法では自身の人生における〝幸・不幸〟は、親のせいでもなければ

夫や妻や子供のせいでもなく、ましてや環境のせいでもないと説いています。

 

その根底には自分自身が原因を作り、その原因によって生ずる結果が

〝幸・不幸〟の現象としてわが身に感じているのです。

 

つまり〝幸・不幸〟の責任は自分自身にあるということです。

 

この生命の因果を解明し〝幸・不幸〟の原因を突き止めて、

誰もが幸せに暮らせる道を説いたのが日蓮仏法です。

 

悪世末法に出現した日蓮大聖人は民衆の苦しみを目の当たりにし、

それらの苦悩から抜け出す方途を打ち立て、人間が苦しむ根本原因は

 

「五悪行・十悪業・五逆罪・十四謗法」を犯していることにあると訴えています。

 

そして経文を通して、もっとも苦悩のどん底に突き落とす極悪の業因は

「五逆罪・誹謗正法(十四謗法)」にあるとし、それを犯すものは無間地獄に堕ちると警告しました。

 

今回はその一つである「五逆罪」について考えていきたいと思います。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】3/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月14日(木)22時01分32秒   通報

  五逆罪とは、

 

①母を殺すこと

②父を殺すこと

③阿羅漢を殺すこと(殺阿羅漢)

④仏身より血を出させること(出仏身血)

⑤僧団の和合を破壊すること(破和合僧)

 

の五つですが、これを聞いて仏法を信仰している人ならば

 

「こんなことは恐ろしくて絶対にできない」と思うのが普通です。

 

しかし、残念ながら歴史を紐解いてみると、

いつの時代も仏の弟子の中にこの五逆罪を犯した者がいたのです。

 

まず、釈尊の弟子(出家在家)のなかで五逆罪を犯した代表ともいえる弟子は二人います。

 

一人は三逆罪(破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)を犯した提婆達多、

もう一人は一逆罪(父殺し)を犯した阿闍世王です。

 

提婆達多は師匠である釈尊をねたむあまり、大衆を取り囲んで〝新仏〟になろうと画策し、

和合僧団を破って五百人の弟子をたぶらかします(破和合僧)。

 

そして釈尊を殺そうとして山のうえから大石を落としましたが、地神が受け止めたために、

その破片が飛び散り、釈尊の足に当たって小指から血を出しました(出仏身血)。

 

また、提婆達多に付き従っていた阿闍世王が釈尊に付いてしまったことで怒りが絶頂になり、

さらに比丘尼(女性出家者)に非を責められたことに激怒して比丘尼を殺してしまったのです(殺阿羅漢)。

 

提婆達多はこの三逆罪を犯したために、生きながらにして地獄に堕ちたと伝えられています。

 

大聖人はこの提婆達多の事例を通して、大聖人自身と対比してこう語られます。

 

「良観、道隆、悲願聖人らがそれぞれ極楽寺、建長寺、寿福寺、普門寺などを立てて、

伝教大師が建立した比叡山の円頓止観をないがしろにしている。

 

これらは提婆達多の三逆罪でいえば第一の破僧罪(破和合僧)にあたる(通解)」(御書一二八九頁)と。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】4/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月14日(木)22時02分27秒   通報 編集済

  本来ならば「釈尊の心は法華経第一である」と訴えた像法時代の

法華経の行者(天台・伝教)を中心として、法華経の精神(円頓止観)を流布するために、

 

仏教界は一致団結して協力し合わなければならないのに、彼らは自分勝手に

邪義を立てて民衆を惑わしている――これは破和合僧を犯しているのと同類だと言っているのです。

 

私たちに置き換えていえば、

 

日蓮大聖人の直系の弟子である創価三代(牧口・戸田・池田)の思想や指導を中心にして、

世界平和の建設を現実のものとしなければいけないのに、その思想を中心とせず

 

「時流には逆らえない」

「その指導は今の時代に合わない」

「指導された当時と今とは状況が違う」

 

などと我見や邪義を唱え、先生の思想をないがしろにするのは

破和合僧を犯していることと同じではないかと考えます。

 

次に

 

「今の念仏者らは釈尊の入滅の日にあたる二月十五日を勝手に阿弥陀仏の日と定め、

仏の誕生された八日を薬師仏の日といっている。

 

また、一切の真言の法師は大日如来を崇めて釈尊を無明に迷う仏であるとし、

我らの履(はきもの)取りにも及ばないと言い、あげくは儀式のときには檀上に曼荼羅を敷き、

その曼荼羅の上で釈迦仏の頭を踏んでいる。

 

また禅宗の法師らは教化別伝と主張し、一切経は使い古しの紙にも劣り、

我らは釈尊より偉いと言っている。

 

これらはバラモンの末流であり、出仏身血の一分である(通解)」(同頁)とあります。

 

つまり、出仏身血とは〝大慢心〟のことではないかと思います。

 

私たちで言えば、御書や先生の指導を根本にして意見する人間に対して

 

「先生の偉大さは当然として、今は執行部の言うことが正義なのだ」

「先生の指導を利用するな」

「組織は絶対にまちがったことはしない」

「会長は偉い人で幹部は部員より偉いのだ」

 

などと勘違いして、先生の指導を忠実に実践している同志に威圧感を与える幹部は

出仏身血の一分にあたるのではないかと思います。

 

つまり、先生を中心にして〝一切皆平等〟である同志に対して、

権威を振りかざし、上から目線で物を言う人はこれにあたるということです。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】5/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月14日(木)22時03分17秒   通報

  また

「今の念仏者らが〝念仏・禅・律・真言〟等の自分たちの法義を日蓮から

責められて、返答(反論)のしようがないので、結局は部下を使って

 

日蓮の弟子を殺させ、日蓮の頭に刀で傷をつけ、日蓮を陥れるために

最高権力者に悪口を言って、伊豆、佐渡と二度までも流罪にあわせ、

頸までも斬ろうと策謀し、弟子ら数十人を牢に入れただけではなく、

 

鎌倉に火を付けて、それを日蓮の弟子の仕業などと触れ回り、

弟子を一人もなく始末してしまおうとしたようなものである(通解)」(同頁)

 

――これが第三の殺阿羅漢です。

 

つまり、大聖人から痛烈な指摘と破折をされた諸宗の僧たちは、

大聖人に対して何の反論もできませんでした。

 

特に良観をはじめとした諸宗の僧たちは、相当悔しかったと思います。

 

そこで彼らは、陰でひそかに結託して互いに相談し合い、無知な為政者や

大衆をそそのかして、大聖人とその弟子門下を抹殺しようと企てたのです。

 

これらの迫害が〝殺阿羅漢〟にあたるということです。

 

私たちで言えば、社会で実証を示そうと懸命に働き、疲れた体をものともせず、

地域のため、同志の幸せのためにと、真面目に活動に取り組む同志が、

 

先生の指導に反した組織運営を正し、権威主義に陥った幹部を諌め、

 

勇気を出して声をあげた同志に対して、

 

役職の権威を利用して理不尽に査問したり、処分したり、

あげくは学会を除名にするような蛮行は、この殺阿羅漢にあたると確信します。

 

このように大聖人は提婆達多の三逆罪を自身の身に当てはめて、その本質を語りましたが、

さらに同じ三逆罪でもその対象によって罪の軽重があり、

 

大聖人御在世当時の人々が犯している三逆罪は、

提婆達多が犯した三逆罪に比べて、はるかに罪は重いことを述べられました。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】6/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月14日(木)22時04分1秒   通報

  大聖人は

「確かに提婆達多の三逆罪は仏の身から血を出したが、

仏といっても爾前教の仏であり、本門に説かれる久遠実成の釈尊ではない。

 

殺阿羅漢といっても、爾前教の阿羅漢であって、法華経の行者ではない。

 

破和合僧といっても、爾前教の小乗戒を持つ僧団であって、

法華経による和合僧団ではない(通解)」(御書一二八九頁)と語り、

 

爾前教を対象とした三逆罪と、法華経を対象とした三逆罪とを立て分けています。

 

そして

「提婆達多は大地が割れて無間地獄に入ったが、法華経の行者を対象とした

三逆罪ではないので、それほど罪が深くはなかったのであろう。

 

だから、提婆達多は法華経によって未来に悟りを開く

仏(天王如来)となったのである(通解)」(御書一二九〇頁)と述べました。

 

つまり、提婆達多の犯した三逆罪は、

 

爾前教の釈尊であって法華経の久遠実成の釈尊ではなく(出仏身血)、

爾前教の戒を持った阿羅漢であって法華経を受持している行者ではなく(殺阿羅漢)、

小乗教の戒を持った僧であり、法華円頓の大戒を持つ和合僧団ではない(破和合僧)ため、

 

その罪は重く深いようでもまだ浅いということです。

だからこそ、法華経で未来成仏の記別である天王如来を与えられたのです。

 

たとえば同じ殺人でも、自分を殺そうとして襲ってきた悪人を殺した場合は

正当防衛になりますが、善人を殺せばまったく逆で罪は重いようなものです。

 

このように同じ三逆罪であっても、相手や対象によって罪の軽重があるということなのです。

 

では、大聖人やその弟子を迫害した人々はどうなるのでしょうか。

 

 

・・・・明日につづく

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】7/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)09時16分55秒   通報

  大聖人は

 

「今の真言師、念仏者、禅宗、律宗の人々、またこれらの僧に帰依している

天皇ならびに将軍家、そして日本国の上下万人は法華経の強敵となったうえ、

 

さらに法華経の行者・日蓮の大怨敵となったのである。

 

だから、たとえ一切経を覚り、十方の諸仏に帰依し、国中に寺院を建立し、

一切衆生に慈悲を施したとしても、・・・・一切の大善根が変じて大悪となり、

 

七福が変じて七難が起こっているのである。

 

今、眼前に蒙古国からの責めが激しく、自身は兵士に破られて、妻子を敵に捕らわれ、

死後は無間地獄に堕ちて大苦悩を受けるのである(通解)」(御書一二九〇頁)と断言しました。

 

つまり、大聖人やその弟子を迫害すれば、提婆達多の犯した三逆罪よりもはるかに重く、

 

その加害者(諸宗の僧)は当然として、

その僧に従う天皇や将軍、また民衆はそのことを知ろうと知るまいと、

 

万人成仏を説く法華経の敵であり、大聖人の大怨敵になるということです。

 

そしてそうなったならば、どんなに立派な寺院を寄進しようとも、

一切衆生に慈悲を施そうとも、その〝大善〟の行為は、ことごとく

 

〝大悪〟へと変わり〝七福〟が〝七難〟となり、

大善に敵対すれば大悪となるのが道理なのだと訴えました。

 

大聖人は

「今、眼前に蒙古国からの責めが激しく、自身は兵士に破られて、

妻子を敵に捕らわれ、死後は無間地獄に堕ちて大苦悩を受けるのである」と

 

悪因悪果の恐ろしさを具体的事例を引いて強調しています。

 

大聖人は謗法の恐ろしさを語り、戒めることによって

正法を信ずることがいかに大切かを教えようとしたのではないでしょうか。

 

ここで「私たちに置き換えて・・・・」と書こうと思いましたが、あえて書かないことにします。

 

この部分は各人がそれぞれ自分自身でしっかり「私たちに置き換えて」考えてほしいのです。

 

先生の指導を忠実に実践しようとする同志をいじめ、ないがしろにし、迫害する罪の重さを、

またそれを指示し、指示通りに動く人間が受ける大苦悩の重さを、

 

そしてそれら権威権力を盲信している無知な同志が受ける苦悩を――。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】8/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)09時17分37秒   通報

  さて、この主張に対して大聖人はある疑難を設定しています。

 

それは

「今の真言師などを無間地獄とは納得いかないことである。なぜなら、

今の真言師はその〝源〟をたどれば真言宗・開祖の弘法大師であり、

比叡山・開祖の伝教大師であり、比叡山第三代座主の慈覚大師であり、

 

比叡山第五代座主の智証大師で、彼らはこの〝四大師〟の門流である。

 

この人たちが地獄に堕ちていないなら、今の真言師がどうして

地獄に堕ちるというのか(通解)」(御書一二九〇頁)というものです。

 

この疑難に対して、大聖人はこう答えます。

 

「地獄には百三十六の地獄があるが、

百三十五の地獄に堕ちる人は雨が大地に落ちるように多い。

 

それは〝堕獄の因〟を犯しやすいからである。

残り一つの無間地獄に堕ちる人は少ないのである。

 

その理由は五逆罪を犯す人が稀だからである。

また釈尊以前には五逆罪はなく、ただ〝父殺し母殺し〟という二逆罪があっただけである。

 

しかも釈尊以前の〝父殺し母殺し〟の二逆罪では無間地獄に堕ちるようなことはなかった。

それは畜生の二逆のようなものだからだ。

 

ところが今、日本中の人々は百三十五の地獄に行くことはない。

それは形が違っていても、みんな法華経誹謗の輩であるからだ。

 

なぜそうなのかというと〝源〟をたどれば、伝教大師を除いた

他の弘法、慈覚、智証の三大師の邪義から起こったことである」と。

 

つまり、法華経誹謗は別として五逆罪を犯すことはよほどのことがない限り、まれです。

 

だから無間地獄に堕ちる人も少なく、むしろ他の

百三十五の地獄に堕ちる人のほうが圧倒的に多いのです。

 

それに仏教誕生以前は〝仏身〟は存在せず、阿羅漢も和合僧もありません。

このことから三逆罪(出仏身血・殺阿羅漢・破和合僧)は起こりようがないのです。

 

しかも当時の人間が畜類とそれほど変わらなかったこともあって〝父殺し母殺し〟の

二つはありましたが、そのこと自体で無間地獄の要因にはならなかったと述べています。

 

しかし当時の日本中の人々は無間地獄に堕ちると大聖人は断言しました。

 

その理由として、各人それぞれ違っていても、一様に法華経を誹謗しているからだということです。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】9/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)09時18分13秒   通報

  このように日本中の人々が法華経誹謗の人となった原因は〝四大師〟のなかでは

伝教大師は除いて、弘法・慈覚・智証の三大師の邪義がその元凶であるとの指摘です。

 

そしてその門流の僧侶やそれに従う人たちは、誰人であれ、

必ず無間地獄に堕ちるということです。

 

つまり、付き従う〝師匠〟を間違えただけでも仏敵になり、無間地獄に堕ちるのです。

 

これほど仏法の因果は厳しく、法華経の行者を迫害する罪は限りなく重いのです。

 

過去に犯した悪因といっても、それ自体はすでに過ぎ去った昔のことですから、

そういうものがどこかにある訳ではありません。

 

それにも関わらず、私たちの生命を制約し〝幸・不幸〟の現象を

あらわしていくというのですから、夢や幻でないことも事実です。

 

ではどこにあるかといえば、結局、自分自身の生命のなかにあるのです。

 

仏法では現在の一念のなかに、永遠の過去からの一切の因を含み、

しかも現在の一念が永遠の未来へと開かれていくと説きます。

 

過去といい未来といっても、この現在の一念のなかに〝悪因悪果〟も〝善因善果〟も含まれ、

それがわが身に顕現され、幸・不幸を感じていくのです。

 

また、生命に刻まれた悪因はただちに顕れることもあれば、次の生に持ち越されることもあります。

 

過去世からの業因と今世での業因が、

現在の一念のなかに含まれている――これが仏法の厳しき因果です。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】10/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)09時18分54秒   通報

  では、つぎに五逆罪の一つである〝父殺し〟を犯した阿闍世王について見ていきます。

 

阿闍世(アジャセ)はマカダ国の王(ビンバシャラ)と夫人(イダイケ)の間に生まれた

王子で、釈尊在世から滅後にかけて存在し、のちにマカダ国の王になった人物です。

 

父であるビンバシャラ王は釈尊が出家の道を選んだ時、釈尊を尋ねて出家を思い止まり、

釈尊の父である浄飯王のもとに帰ることを勧めましたが、

 

釈尊の志が固いことを知り、かえって尊敬の念を抱いて、釈尊が成道した後に

化導してくれるように懇願したほど信仰心のある父王でした。

 

そして釈尊が成道すると即座に帰依し、竹林精舎を建てて供養しました。

そのほか霊鷲山の頂上に通じる石段を造ったとも伝えられています。

 

しかし息子である阿闍世は、当時、釈尊に対抗して教団を分裂させ、

新教団を組織していた提婆達多に心を寄せていました。

 

提婆達多は自分のところに供養の品を持ってくる阿闍世王子の心を

巧みに利用し、王子をそそのかして逆心を起こさせます。

 

そして、父を殺し、早く王位について新王になることを勧め、

提婆達多も自ら釈尊を殺して新仏になろうと画策したのです。

 

そそのかされた阿闍世は、父である王を捕え、幽閉して食物を与えませんでした。

こうして阿闍世は自ら新王になったのです。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】11/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)09時19分34秒   通報

  食物を断たれた王は牢獄の窓から霊鷲山に向かって釈尊を思い礼拝していたといいます。

また、夫人は王を飢餓から救おうと自分の体に蜜を塗って王の所に通っていました。

 

しかし、それを知った阿闍世王は激怒し、牢獄の窓を閉じ

王の足を刺して立てなくしたうえ、母も殺そうとしたのです。

 

しかし、ギバ大臣に諌められて母を殺すことは思いとどまりました。

 

その後、提婆達多が新仏になる野望がすべて失敗に終わり、

大地が割れて提婆達多が生きながら地獄に堕ちたあと、

 

阿闍世も五十歳の時の二月十五日に、

全身に大悪瘡(悪いできもの)ができて三月七日に死ぬと予言されます。

 

阿闍世が病にかかると、父はこれをあわれみ、それを聞いた阿闍世は後悔して、父を救おうと

家臣を牢獄に向かわせましたが、父は苦刑が加えられるものと思い、自ら命を絶ったと伝えられています。

 

提婆達多にたぶらかされ、父を殺した罪に苦悩していた阿闍世王は、

今さら釈尊のもとへ行くことは出来なかったのでしょう。

 

そのうえ、全身に悪瘡ができ、もうすぐ死ぬと宣告されたのです。

まさに最悪の地獄の苦しみだったと思います。

 

体中にできた悪瘡が腐敗し、高熱にうなされ、

父を殺した罪の深さに苛まれて心身ともに病んでいたのだと思う。

 

そこで阿闍世王は諸大臣の助言に従い、六師外道にその悪瘡を治させようとしましたが、

それも叶わず、最後はギバ大臣の勧めによって、釈尊のもとへ行ったのです。

 

そこで釈尊は阿闍世王に涅槃経を説き、悪瘡はたちまち癒えたといいます。

 

その後はますます信心を深め、釈尊滅後も仏教界のために大いに貢献したと伝えられています。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】12/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)09時20分12秒   通報

  阿闍世王に説いたとされる涅槃経には

 

「父王(ビンバシャラ)が山に鹿狩りに行った時、一頭も狩りができず、

そこにいた仙人が追い払ったと思い込んで臣下に殺させようとした。

 

その仙人は死ぬ直前に怒りの心を起こし、父王(ビンバシャラ)に

『来世において心と言葉であなたを殺害するだろう』と言った。

 

それから間もなくしてイダイケ夫人が懐妊した。

 

仙人の言葉が忘れられない父王は、生まれてくる王子(阿闍世)が、その仙人の恨みを

受け継いだ未生怨(※みしょうおん、生まれる前から恨みを持つ)であることを心配して、

 

生まれてきたわが子を城の上から投げ捨てたが、阿闍世は指一本を損じただけで死ななかった。

 

釈尊は阿闍世に『父王は自らその罪による報いを受けただけで、そなたに罪はない』――」

 

という逸話が記されています。

 

話は変わりますが、

 

仏教では根本的な苦悩を四苦(生・老・病・死)とし、さらに

根本的に〝思うようにならないこと〟の四つを加えて八苦としました。

 

その八苦とは

 

①愛別離苦(あいべつりく)――愛する者と離別すること

②怨憎会苦(おんぞうえく)――怨み憎んでいる者に会うこと

③求不得苦(ぐふとっく)――求める物が得られないこと

④五蘊盛苦(ごうんじょうく)――五蘊(人間の肉体と精神)が思うようにならないこと

 

の四つです。これを合わせて四苦八苦ともいいます。

 

涅槃経に描かれた阿闍世王の逸話を見た時に、一番に浮かんだのが

 

この言葉(怨憎会苦――怨み憎んでいる者に会うこと)です。

 

 

・・・・つづく(たぶん夕方)

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】13/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)12時58分36秒   通報

  そもそも家族というものは、互いに愛し愛され、親や夫や妻や子供が、

もしも死ぬような事態に陥ったならば、嘆き悲しむのが普通だと思っていました。

 

つまり、愛する者との離別(愛別離苦)です。

 

しかし、阿闍世王の親子関係は真逆の「怨憎会苦」そのものです。

 

親が子を殺し、子が親を殺す――釈尊は阿闍世王に言います。

 

「父王は自らその罪による報いを受けただけで、そなたに罪はない」と。

 

この釈尊の言葉は、他人を殺せば、殺した相手が自分の家族の一員となって生まれ変わり、

殺した報いを受ける場合もあり得るという意味です。

 

そして殺した者はその罪によって地獄の苦しみにあう――。

 

冒頭にも書きましたが、

 

世界中で今現在も無差別に他人を殺害するテロや戦争、

また通り魔殺人や親が子を殺し、子が親を殺す事件があとを絶ちません。

 

しかも二十世紀の人類は過去の歴史に比べるほどのない

大量の殺戮を繰り返す蛮行(二度の世界大戦)を犯しました。

 

 

これらの蛮行は、まるで提婆達多や阿闍世王の末裔が生まれ変わり、

どうしようもない人間の悪因悪果に翻弄された人間の悪業の循環に感じてなりません。

 

しかし、提婆達多や阿闍世王は法華経によって救われました。

 

現代に置き換えれば、もう日蓮仏法でなければ、この悪循環から人類が逃れる方法はないでしょう。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】14/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)12時59分12秒   通報

  御書には

 

「法華経を信じて大善をなせば、わが身が仏になるのはもちろんのこと、

自分の父母や上七代、下七代の先祖(父母)も仏となる。

 

さらに上無量生、下無量生の先祖や祖先の父母も仏となる。

 

・・・・・だから法華経には『自分が積んだ功徳をもって一切に回向し、

我らと衆生と皆共に仏道に導こう』と説いている(趣意)」(御書一四三〇頁)とあります。

 

今、池田先生が人間革命運動の思想を世界に発信し、折伏行を推進しているのも、

 

提婆達多や阿闍世王の末裔の悪循環を断ち切るためです。

 

なぜなら、今生きている人たちの先祖で戦争の被害に遭わなかった人たちは

一人もいないと思うし、殺したくもない人を殺し、

 

なぜ殺されなければならないのかも知らずに殺されていった

人々が、先祖をさかのぼれば、身内や一族のなかには必ずいると思うのです。

 

これらの人々が提婆達多や阿闍世王の末裔となって世に現れ、

再び不幸を繰り返さないためにも、まず自らがしっかり日蓮仏法の偉大さを学び、

何が善で何が悪かを見極めていく実践が必要だと思います。

 

特に子供を持つ学会員の親に言いたい。

 

子供に信心を教えたいばかりに、小さいうちから勤行や活動を強制し、

勤行をしない子は悪い子などと、子供心を傷つけたことはなかっただろうか。

 

また信心させたいばかりに、子供のご機嫌を取り、

好きな物を買ってやるなどと、子供と取引きしたことはないだろうか。

 

親の見栄や虚栄で、子供を創価学園や創価大学に入学させようと、

小さい頃から子供の自由を奪い、遊ばせず、勉強漬けにしたことはなかっただろうか。

 

そうやって親が矛盾した形で信心を強要して育てた子供が成人すると、

大体、学会アンチか親に反感を持っている人が多い。

 

しかも幹部の子供に限って顕著にそれがあらわれている。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】15/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)12時59分44秒   通報

  先生が子供たちを「未来からの使者」として大切にされているのだから、

 

親は師匠のその思いを受けて子供に対して〝尊敬〟をもって

信心を教えなければならなかったはずです。

 

一番大切な友人を折伏するように、

またそれ以上に、理を尽くし、心を尽くしていくべきです。

 

親が仏法の道理も学ばないのに、子供に仏法の道理を教えられるわけがありません。

 

教えられるとすれば、親がつかんだ小さな信心の体験だけです。

その体験も教学という裏付けがあって教えてこそ、立派な信仰体験になるのです。

 

我見の小さな功徳体験ばかりだと、二乗根性の子供に育つ可能性があります。

 

少しぐらい勤行を始める時が遅かったとしても、そんなことは

一生の問題から見れば、たいしたことではありません。

 

大切なのは信心を嫌いにさせないことです。

 

なぜなら

「善に付け悪に付け法華経をすつるは地獄の業なるべし」(御書二三二頁)だからです。

 

話をもどします。

 

人間の〝幸・不幸〟自体の因果を考える時、どうしても仏法で説く

三世の生命観や永遠の生命観に立たざるを得ないのです。

 

心地観経には

「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。

未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」とあります。

 

ここでいう過去とは〝過去世〟のことであり、

現在とは〝現世〟であり、未来とは〝未来世〟のことです。

 

何度も繰り返して言いますが、現在の世における様々な人間の差別があるのは、

過去世の因による結果であり、また現在の生命を因として、

 

未来世における生命が決定されると説くのが「三世の生命観」です。

 

この三世の生命観が仏法の大前提であるというのは様々な経文にも明らかです。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】16/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)13時00分24秒   通報

  では、それが生命のどこに現れているのかというと、

人間の四苦とされる「生老病死」に現れているのです。

 

もともと人間の人生には本然的にこの生老病死はつきまとっている

苦しみであり、ここから離れることは不可能です。

 

言い換えれば、この生老病死が人生の特質であり、人生は生老病死を通じて

〝幸・不幸〟があらわれ、生老病死として私たちが実感するのです。

 

つまり、生は生なりに、老は老なりに、病は病なりに、死は死なりに、

それぞれ価値と意義をもっているのであって、

 

生老病死があればこそ人生の幸福もあるのだということです。

生老病死は生命の法則であり、宇宙の法則です。

 

それを〝幸福の生老病死〟とするか〝不幸の生老病死〟とするかは、

その人の一念の生命によって決定されていくのです。

 

では、提婆達多や阿闍世王のような過ちを犯さず、歓喜のなかの大歓喜に

包まれた生老病死の人生を生き切るには何が必要なのでしょうか。

 

今度はそれを考えていきましょう。

 

大聖人は

 

「幼少のころから学問に心がけ、十二歳の時から宝前で『日本第一の智者となしたまえ』と願ってきた。

その後、あらゆる諸宗の寺にいって諸宗の法門を研鑽し、京の都や田舎などに行って修行し、

他宗の法門を学習したが明確な答えは見つからなかった。

 

もともと自分(日蓮)の願いには

 

『諸宗のいずれの宗に対しても、偏った心や執着は持つまい、

いずれの宗であっても仏説に証拠があって、道理が明確であるものを用いよう。

 

論師、訳者、人師などによってはならない。

ひたすら仏の経文を第一としよう。

 

また法門の上では、たとえ国主の責めを受けてもはばかることはない。

まして、それより以下の人々は言うまでもない。

 

そして、父母、師匠、兄弟などの教訓であっても用いることはない。

人が信じるとか信じないとかに関わらず、ただ経文のままに言い通していこう』

 

との誓いを立てていた。

 

それらの誓いを根本として、弘法の邪義や、たとえ伝教大師の末流である慈覚、智証で

あってもこの二人から邪義を主張するようになったので、日蓮は強盛に責めているのである(趣意)」

(御書一二九二頁)と述べています。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】17/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)13時00分58秒   通報

  あえてこの御文を説明する必要はないと思います。

 

大聖人がこれほど明確に、しかも分かりやすく

「人師、論師を先とせず、経文を先(依法不依人)として善悪を判断せよ」と言われているのに、

 

どうしてこの根本原理が理解できずに、途中の人師、論師に従ってしまうのでしょうか。

 

しかも大恩ある父母や師匠や先輩などから決意を促す教訓があっても用いないとし、

人々が信ずると否とに関わらず、ただ真実をありのままに説くと宣言しています。

 

これが大聖人の信仰に対する基本姿勢であり、正法受持の覚悟です。

 

私たちで言えば、御書や創価三代の指導に反する主張や思想を説く人は、

たとえ親であろうと、先輩であろうと、幹部であろうと、会長であろうと、

 

ことごとく邪義であり、人々を地獄に堕しめる獄卒の使者です。

 

それらに従った会員は、それぞれに応じた

〝総罰、別罰、顕罰、冥罰〟に合い、苦しむのは当然の道理です。

 

提婆達多が大慢心になって地獄に堕ち、付くべき師匠を間違え、

父を殺して地獄の苦しみを味わった阿闍世王のように、

いずれは苦悩のどん底に沈むのです。

 

「過去、現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣・万民は、始めは

事なきように思うかも知れないが、終りには必ず滅んでいくのである(趣意)」

(御書一一九〇頁)とある通りです。

 

法に依って人に依らざれ――。諸宗諸派が乱立し、

何が正義で何が邪義かも、わからなくなった現代社会にあって、

 

これほど明快な基準、原理はないのです。

 

それを世界に向かって発信し、現代に「人間革命論(運動)」として展開したのが池田先生の思想です。

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】18/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)13時01分33秒   通報

  生命は本来、宇宙大の大きさを持ち、無始無終である――。

 

つまり、始めもなければ終わりもなく、永遠に実在していくものなのです。

 

何度も繰り返して言いますが、

今世で積んだ悪因が、今世で悪果として出なくとも、

来世でその報いを受けることだってあるのです。

 

この三世の生命観を信ずるならば、目先の勝敗に一喜一憂することなく、

 

ただひたすらに御書を信じ、師匠の指導通りに実践していくことが、

三世にわたって永遠に崩れない幸福をつかむ源泉ではないかと確信します。

 

最後に、

 

日蓮大聖人やその弟子を迫害した権力者たちの末路(歴史)を記して終わります。

 

大聖人が入滅する前年の弘安四年五月、二回目の蒙古襲来が起き、

蒙古軍が九州・対馬を侵略しましたが、七月一日に北九州を襲った台風によって、

蒙古の軍船の多くが海に沈んだために救われました。(弘安の役)

 

二度にわたる蒙古襲来は、かろうじて撃退することはできましたが、

三度目の蒙古襲来が予想されたために防備を固めなければならず、

強力な統制力と莫大な戦費が必要でした。

 

幕府自体が財政的に困窮したうえ、戦費の負担で御家人も窮乏し、

蒙古撃退の戦功に対する恩賞が少なく、不公平だったこともあって、

幕府への不満が高まっていきます。

 

困難な事態を乗り越えるために、執権・時宗(ときむね)はいっそう専制体制を強め、

少数の一族と側近による「寄合(よりあい)」で、重要な問題を処理していました。

 

寄合の参加者のなかでも北条嫡流の家臣団が大きな力を持つようになり、

その中心人物が大聖人を死罪・流罪にし、熱原三烈士の首を斬り、残りを追放した

 

平左衛門尉「頼綱(よりつな)」です。

 

執権・時宗(ときむね)が弘安七年に病死すると、十四歳の貞時(さだとき)が執権職を継ぎます。

 

頼綱(よりつな)は御家人の代表格で、貞時(さだとき)の外祖父だったライバルの安達とその一族を、

貞時(さだとき)へ讒言して滅ぼし、幕府の実権を独占しました。(霜月騒動)

 

【提婆達多と阿闍世王の末裔】19/19  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 7月15日(金)13時02分10秒   通報 編集済

  頼綱(よりつな)とその一族が幕府を支配していた恐怖政治は七年間続き、

執権である貞時(さだとき)はまったくないがしろにされていました。

 

その貞時(さだとき)へ、頼綱(よりつな)の長男が

 

「父は次男ともども専横をほしいままにしています。

やがては、次男を将軍へとたくらんでいます」と讒言したのです。

 

大聖人滅後十一年目の永仁元年四月、

鎌倉に大地震が起こり、死者は二万人におよんだといいます。

 

その直後、執権・貞時(さだとき)の命を受けた軍勢が、頼綱(よりつな)邸を襲い、

 

頼綱(よりつな)と次男の親子をはじめ、一族を滅ぼします。

 

父を密告した長男は、佐渡へ流罪されましたが、のちに許されています。

 

権力の座にのぼりつめた末に、わが子の讒言によって惨殺されたという事実は、

因果の厳しさを示していると思います。

 

その後、貞時(さだとき)は執権の座を退き、一門の後身に執権職を譲りましたが、

幕府の実権は握ったままで独裁政治をしきました。

 

しかし、徐々に御家人の窮乏は進み、幕府の財政も苦しくなっていきます。

 

この頃は、高時(たかとき)が執権職に就いていましたが、

高時(たかとき)は政治をかえりみずに田楽や犬追物に熱中し、

 

執事(内管領)の長崎高資(たかすけ)らが実権を握り、

賄賂(わいろ)が横行し、幕府は腐敗していきました。

 

京都の朝廷では倒幕の計画を進めていましたが失敗に終わります。

 

しかし、楠木正成(くすのきまさしげ)などが

幕府に反抗して立ち上がり、地方武士団が登場します。

 

正成が立てこもった千早城は、幕府の大軍に囲まれても落ちなかったため、

畿内や西国で反幕府の兵を起こす者が増えていきます。

 

関東では新田義貞(にったよしさだ)が反幕府の兵を挙げ、鎌倉へ進軍。

 

そして、大聖人滅後五十二年目にあたる元弘三年(一三三三年)五月二十二日、

 

北条一門が鎌倉の東勝寺で自害――。

 

百五十年にわたって武家政権の鎌倉幕府が滅亡したのです。

 

北条一族・幕府滅亡の直接的な原因は、

御家人の離反による内部崩壊であり、自界叛逆の姿だったといいます。

 

―― 「御書を学ぶ人のために」より(趣意) ――

 

おわり

 

宿坊の掲示板より